有機栽培&無農薬の田七人参「白井田七」の開発秘話⑦「まずは道をつくる」

まずは道をつくる

白井博隆が有機栽培&無農薬の田七人参の栽培で最初にやったことは、まず山をひとつ借り切って、道路をつくるところからスタート。

田七人参の栽培にはいろいろな条件があります。

まずは標高2000メートルの高地であること。

他の農作物に使用される農薬の影響を避ける人里離れた場所であること。

3年に一度しか田七人参を栽培できないため、通常の作物の3倍の面積が必要なこと。

これらの条件を兼ね備えた場所となると、誰も手をつけていない山に道路をつくって、電気を通すところから始めなければなりません。

白井博隆は「田七人参の栽培」を選んだ時点で無農薬はもちろん有機栽培を視野に入れていたので、最高の環境を準備していたのです。

中国で行われていた農薬まみれの田七人参の栽培はまったく参考にならないため、田七人参の無農薬栽培は誰も実現したことのない未知の領域でした。

選ばれた場所は、中国・雲南省の硯山県(げんさんけん)という地域で、ベトナムやラオスの国境近くです。

ベトナムまで直線距離で数十キロの奥地です。

田七人参の栽培をはじめるにあたり、まずは泥を寄せて、道路というよりも「畑までの通り道を確保する」という感じでした。

アスファルトの道路はお金もかかるので、砂だらけの砂利道をロバや水牛で何度も往復して道をつくるという作業でした。

数年たつとトラックが通るようにならいましたが、雨が降るとぬかるむので何度も道路の土を固める仕事になりました。

他にも電気を通したり、井戸を掘ったり、そこで働く農家の人々の生活環境をすべて整えるという地道な作業でした。

田七人参の栽培地である硯山県の平均温度は20度で、氷点下になることはめったになく夏でも30度以上は上がりません。

田七人参は直射日光と雨に弱いので、畑にはまず松の木を植えておき、それを柱にして黒いネットで覆ってテントのようにします。

こうして、硯山県の未開拓であった山奥で、白井博隆の手による有機栽培&無農薬の田七人参の初めての種まきができるようになったのです。

現地人ミャオ族による田七人参の栽培

田七人参の栽培に関わってくれるのは現地人ミャオ族。

「あの山、電気も水道もあるよ」って声をかけたら集まって来るのです。

はじめのうちは、自分たちで泥壁の家をつくって適当な場所に住んでいましたが、そうすると急な天候の変化でも田七人参の栽培はほったらかしだし、畑に泥棒がはいる恐れもあるので、畑のすぐそばに住宅をつくってあげて、そこに住んでもらうことにしたのです。

社員を現地に常駐させなくても良いし、ミャオ族の農家の方にとってはより働きやすい環境になるので一石二鳥です。

ミャオ族とは、中国南部からタイ北部・ミャンマー・ラオス・ベトナムの山地に住む民族です。

白井博隆は、田七人参の栽培のために準備した道路をすべて地元民に開放し、現在では一般道路として大事な生命線になっています。

また白井博隆は、貧しい子供たちが勉強できるようにと近くの小学校に教材を寄付したこともありました。

田七人参の栽培に関わってくれたミャオ族の現地人はみんな女性で、男性は将棋とか麻雀、タバコを吸ってゴロゴロして、声をかけても全然酸化せずに、一日中遊んでいました。

こうして白井博隆による有機栽培&無農薬の田七人参の栽培が本格的にはじまっていったのです。

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参考文献引用:著者 田中泰子 
       白井博隆 田七人参ものがたり

  • 記事を書いた人

    松本哲也

    大学を卒業後、広告会社で30年間勤務。営業、制作、業務管理の取締役を経て退職。2012年に有機栽培&無農薬の田七人参「田七堂」を設立し、「田七堂 免疫研究センター」を稼働。事業のかたわら、整骨院、整体院で年間2000人の施術をおこないつつ、人々のカラダとむきあう。その後、カラダだけのアプローチでは健康にはなれないと悟り、心理カウンセラーとしてココロへのアプローチをおこなう。有機栽培&無農薬の田七人参の大いなる自然のパワーに惹かれ、ココロとカラダと自然の完全なる調和を目指して活動中。