有機栽培&無農薬の田七人参「白井田七」の開発者の白井博隆が、12年の歳月をかけて有機栽培で無農薬の田七人参を栽培し、「白井田七」を商品化したとても苦難な道のりを何回かに分けて紹介していきます。
1994年中国雲南省で受けた田七人参栽培の衝撃
有機栽培&無農薬の田七人参「白井田七」の開発者の白井博隆。
白井博隆が中国を訪問した際、中国のお医者さんのほとんどが患者さんに「田七人参」を処方していることを知りました。
そこで「田七人参」の栽培を見に行きたい衝動に駆られ、11時間もかけてベトナムの国境に近い雲南省の山奥まで行くことになりました。
行き道は舗装もしていないガタゴト山道。
田七人参を見に行きたいと言うんじゃなかったと後悔したものでした。
その時は田七人参の知識はまったくなかった白井博隆。
田七人参の栽培している畑の近くを流れる川の臭いこと、川の流れはまったくないし、工場廃液の溜まり場で、豚の死骸やダイオキシンの農薬袋などがプカプカ浮いている状態でした。
日本ではまったく考えれないでしょう。
おそらく川の水を飲みに来た豚がダイオキシンを飲んで死んだのでしょう。
他にも大量の農薬や、化学肥料、除草剤までもが当たり前のように使用されており、農家の息子として育った者として、ココロの底から自分を奮い立たせる衝撃が走ったことを今でも思い出します。
中国の田七人参の栽培環境に驚いたことが、白井博隆のココロの底から込み上げてきた感情であり、田七人参の栽培をはじめた大きな原動力につながっていったのでしょう。
美味しいことは良いことは、人間が創り出したもの
白井博隆は長野県佐久市でりんご農家を営む両親のもとで生まれ育ちました。
農薬が人体にどうような影響を与えるかは両親から聞かされていたので、中国でのこの出来事は衝撃的なものでした。
人の命を救う漢方として病院で処方されているにも関わらず、人の命を危険にさらしていることに憤りを覚えたものでした。
農薬や化学肥料、殺虫剤をした方が美味しさを感じるから、生産者も農薬の人体に与える影響はわかりながらも、農薬を使った栽培をしてしまいます。
白井博隆が田七人参を栽培するのは、甘くて美味しい野菜や果物をつくる栽培方法ではありません。
病気を治したいとか、命を守りたいとかすがる思いで田七人参を求めておられる方に、田七人参を届けたいと思う気持ちの一心からだけなのです。
人間の都合で甘くしたり大きくしたりするのではなく、本来持っている薬効成分を最大限に生かす努力をしていくことが、田七人参栽培の使命であると思います。
縁もゆかりもなかった中国・雲南省で田七人参に出会い、白井博隆の運命は大きく方向転換をしていきます。
白井博隆自身が待ち受けている困難を、その時は知るすべもありません。
引用:著/田中泰子 白井博隆 田七人参ものがたり
記事を書いた人
大学を卒業後、広告会社で30年間勤務。営業、制作、業務管理の取締役を経て退職。2012年に有機栽培&無農薬の田七人参「田七堂」を設立し、「田七堂 免疫研究センター」を稼働。事業のかたわら、整骨院、整体院で年間2000人の施術をおこないつつ、人々のカラダとむきあう。その後、カラダだけのアプローチでは健康にはなれないと悟り、心理カウンセラーとしてココロへのアプローチをおこなう。有機栽培&無農薬の田七人参の大いなる自然のパワーに惹かれ、ココロとカラダと自然の完全なる調和を目指して活動中。