田七人参は3年~7年をかけて栽培
田七人参は、なぜ中国では農薬を使っていたのでしょうか。
田七人参は収穫までに3年~7年の歳月をかけて栽培します。
一度栽培した畑では十年はその畑では栽培できません。
田七人参を栽培した土地では、雑草も生えないぐらいの栄養分を田七人参は吸収する力をもっていて、その土地の栄養分を田七人参は根こそぎもっていってしまうからです。
毎年安定収入を得ようとすると、2年目は1年目と同じ面積の畑を耕して田七人参を植えておかなければなりません。
労力も2倍かかるがまだ収穫もできません。
3年目、4年目と繰り返しますが、まだ収穫はできません。
また害虫などがついたらそれは大変です。
漢方の中でも非常に取引価格が高いのは、田七人参を栽培して収穫するまでの労力が非常にかかるからです。
雲南省で田七人参の畑に行く途中の食堂では、1994年当時はライフル銃を販売していました。
田七人参の泥棒が見つかれば、ライフル銃で射殺されていたのです。
今では銃の所有ができませんが、放し飼いの猟犬が泥棒を狙っています。
日本での田七人参の状況
白井博隆の故郷の長野県の病院の院長が、田七人参の研究会の会長をしていました。
話を伺ったところ、田七人参の情報を一冊の本にまとめておられ、しかも患者さんにも処方しているとのことでした。
特に肝臓病の方にはとても良い結果がでていて、二日酔いの方には即効でその凄さがわかります。
白井博隆は、他にも田七人参を実際に飲んでいる方や、漢方薬のメーカーの方にも話を聞きまわりました。
日本にも一時、健康食品ブームがあり、高麗人参や紅茶キノコ、寒天などとブームにのっかって販売した時期があります。
覚えておられる方は多いと思います。
田七人参のあるメーカーが田七人参を仕掛けたらしいのですが、見事に失敗に終わったそうです。
田七人参は単なる健康食品ではありません。
田七人参は、健康食品ではなく「優秀な野菜」なんです。
白井博隆は、だから農薬まみれの栽培に疑問を感じ、憤りを覚え、田七人参に栽培にのめりこんでいったのです。
騒ぎはじめたりんご農家のDNA
白井博隆は、なぜ田七人参の販売などではなく「栽培」を選んだのでしょうか。
白井博隆は、商売人の家系でもなく、長野県のりんご農家の子供として生まれてきたからです。
田七人参を本物かどうか見極めるときに、りんご農家のDNAが反応したのでしょう。
田七人参が農薬まみれだったことへの憤りもあったからかもしれません。
りんご農家のDNAが、白井博隆を「栽培への道」へと突き動かしていったのです。
忙しい方におススメの漢方の田七人参
血液をサラサラにするサポニン成分を多く含み、免疫力アップや更年期症状におススメです。
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参考文献引用:著者 田中泰子
白井博隆 田七人参ものがたり
記事を書いた人
大学を卒業後、広告会社で30年間勤務。営業、制作、業務管理の取締役を経て退職。2012年に有機栽培&無農薬の田七人参「田七堂」を設立し、「田七堂 免疫研究センター」を稼働。事業のかたわら、整骨院、整体院で年間2000人の施術をおこないつつ、人々のカラダとむきあう。その後、カラダだけのアプローチでは健康にはなれないと悟り、心理カウンセラーとしてココロへのアプローチをおこなう。有機栽培&無農薬の田七人参の大いなる自然のパワーに惹かれ、ココロとカラダと自然の完全なる調和を目指して活動中。